メンタリストDaiGoさんの炎上発言から見る「優生学」について個人的見解

メンタリストDaiGoさんの発言が話題になり炎上している。
自身のYouTubeチャンネルの生配信で 「ホームレスの命はどうでもいい」といった発言をしたことで差別発言だとネット上を賑わせた。
こういった思考に対して「優生学」に基づき個人的見解を考えてみる。

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優生学について

優生学とは

この類の話は昔から何度も議論がされてきた。「優生学」という学問の分野がある。

植物や動物は品種改良によって扱いやすく、より良い物へと進化していった。
人間にもこの理論を当てはめれば優秀な人材が増え、社会全体はより良い方向に向かっていくという発想だ。

実際にこの思考は20世紀初頭まで支持されており、当時は良しとされていたものだった。
そしてそれを究極に実行したのがアドルフヒトラーだ。
高齢者や衰弱者などに対する殺人や、 ユダヤ人の大量虐殺なども行った。

現代ではタブーになっている

その後は人権が倫理的に見直され、この優生学については現代ではタブーとなった。
話題にすると、差別や人権問題として非難されるからだ。
しかし口には出さないが、人間は今でもこういった部分を本質的に持ち合わせている。

ホームレスの命はどうでもいいのか

利益を生み出すかそうでないか

今回の発言は「生活保護の人のために税金を納めているわけではないから、生活保護の人に食わせる金があるんだったら、猫を救ってほしい。猫は生きていれば自分にとって得だから」というものだった。 
つまり生活保護は税金から支払われている以上、国にとっては足を引っ張っている存在であり、淘汰されるべきだという事。
これはまさに優生学における考え方だ。

ホームレス全員が悪ではない

ホームレスがいない方が治安が良くなるし街も綺麗になる。それに比べ猫は誰かに飼われるという、利益を生み出すかもしれない。確かにそれはそう
ただ実際のところホームレスだからといって全く利益を生み出していないのかというと、それは全員に当てはまることではない。
ホームレスでも人の役に立っている人はいる。 だから一括りにホームレスを淘汰するような発言は浅はかだなと思う。

もしホームレスになると殺される世の中だったら

もしホームレスになると殺される世の中だったらどうなるか。
当然人間に死にたくない以上、ホームレスになる前に人の財産を奪うという発想になる。
だから生活保護というものがあって、最低限生きていくお金を支給される。
「最低限のお金あげるからこれで暮らしてね、だから盗みはしないでね」という事。
もしこの制度がなかったら、追い込まれた人間は盗みをするだろう。結局治安は悪くなってしまう。

「相模原障害者施設殺傷事件」に通ずるものがある

不利益を被るのは他人

少し話は変わるが、2016年に起きた相模原市の「津久井やまゆり園」で起きた大量殺傷事件。
この犯人の動機も優生学に当てはめて考えることができる。

“意思疎通のできない重度の知的障害者や寝たきりに近い障害者は、何も利益を生み出さない人間であり、その人間に対して莫大なお金と他人の時間が使われる"
この犯人は実際に障害者施設で働いており、現場でそれを痛感したようだ。
そして、こういった人間に対して”生きる価値がない”というのを主張し、犯行に至った。

実行方法は論外だが主張は理解できる

もちろんこの事件に対して殺人という行為を行ったことは決して許されることではない。
だが、この犯人の主張した事に関しては正直、綺麗事抜きでは否定できない。
家族はそれでも生きているだけで十分だと言うが、それ以上に他人に対して不利益を生み出しているのは確かだからだ。

光もあれば影もある

みんなが幸せにはなれない

“世の中はバランスである”というのは真理だと思う。
簡単な話、貧乏な人がいるからお金持ちがいる。全員が全員裕福にはなれない。それはただのインフレでしかない。
結局のところ、人は他人よりも優位に立とうとして競争をする。それに勝ったものが光を浴びることになる。
全員が全員を救うことはできなくて、勝っている人の影で、負けている人間が必ずいる。

自分が優位に立とうとするのは生物の本能

つまり人間は不本意ながらも優先順位をつけて生きていっているわけだ。
自分にとって利益のあるものの順位を上げ、利益のないものの順位を下げる。
資源が限られている以上どちらか一方しか救えないのであれば、自分に都合のいい方を選択する。 
そしてこのメンタリストDaiGoさんにとっては、ホームネス<猫だったというわけだ。

結局は自分の立場による

この順位付けが間違っているとは思わないし、合っているとも思わない。
この選択に関して人間の方が上だと主張する人は多いが、もし自分が猫だったらどうだろうか?
結局自分の立場によって変わる。 要は自分に都合のいい方を選択するというわけだ。

人間は何をもって優れているのか劣ってるか

優れている、劣っているとは何か

人間は”何をもって優れているのか劣っているのか”というのを判断するのは非常に難しい。

Aという方法が一般的な方法であればそれに適した人間は優れていると判断され、適していない人間は劣っていると判断される。
でもその人はBという方法には適しているかもしれない。
でも周りからは一般的な方法に適してないから、劣っている人間だと判断される。

救う事で利益を生み出すようになる可能性

今現状がホームレスや生活保護で暮らしていて、世の中の足を引っ張っている人間かもしれなかったとしても、将来大きな利益を生み出す人間になるかもしれないのだ。
逆に今は利益を生み出せる人間も、事故や病気でそっち側になるかもしれない。
だからそもそも、救うべき命とそうじゃない命の明確的な線引きというのが出来ないのだ。

まとめ

優生学に基づいて考えると、こういった発言の本質が見えてくる。

ただもちろん今回の発言を援護するわけではなく、こういったことを公の場で言ってしまうと非難されるのは当たり前だとは思う。
まあ自身のYouTubeチャンネルである以上、 自分の感想を言うのは自由かもしれないが非難されるのもこれまた自由だ。

影響力のある人間なんだから、それが思っていた事だとしても、もっと配慮するべきだったと思う。

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Posted by Katsu